ひゅうが亡くなったのが26日、火葬は29日にしました。
寝るときはいつもひゅうようは私たちと一緒に寝てました。
しつけ的には寝るときはケージがよいなど色々な考え方があるけれど、短い犬の一生を思うと、寝ている時間も離れたくないし、腕を枕にしてきたり、足の間に挟まって寝ている姿のかわいさや、そのぬくもりや幸福感を感じられないなんてもったいなーい。
ということで、いつもひゅうようは私たちのベッドで一緒。
26日はひゅうをベッド連れていくことができず、とうちゃんがひゅうのいるリビングで寝ました。
27日は私がひゅうのいるリビングで、28日はみんなでリビングに布団を敷いて最後の時間を過ごしました。
ようは、ひゅうと少し離れたところにいたり、ぴったりひゅうにくっついたりしていました。顔の前に行くといつもひゅうはようの毛づくろいをしていたけど動かない。
そして29日の火葬の日。
ようはその間、ずっといい子に待ってました。
お出かけ前は自主的にトイレに行くようですが、この日は行かなかったので外に連れ出すと、お寺で飼われている猫ちゃんに見向きもせず、ひゅうが火葬されている場所に行こうとします。
ひゅうがどこにいるかわかるんだね。
ひゅうの骨はしっかりと形が残っていて、骨壺からあふれんばかりの山盛でした。
私はお骨を家に残したくなかった。お骨を手放すときにまた悲しいし、お骨をどこに納めるか、いつ納めるかを決めなきゃいけない。
とうちゃんは私とは違う考えで、もう少し手元に置いておきたいと泣かれてしまうとそれ以上は言えず、ひゅうはおうちに帰ることとなりました。
「お骨はひゅうじゃない」ひゅうが帰ってくるまではそう思っていたけれど、毎日お供えをしているとひゅうと会話をしている感じがして、心が落ち着きます。
帰ってきてよかったと今は思ってます。でも、いつまでも置いておかない。49日過ぎたらお空組のみんなと同じところに納めるつもりです。
ひゅうはみんなと一緒の方がいいっていいそうだもん。