ようちゃんが旅立ってから2ヶ月が経ちました。
ひゅうが旅立って3年、ようが旅立って2ヶ月。
2か月前に感じていたのは、なにもかも終わったという気持ちにつきます。
私の人生の中でひゅうようと暮らした16年は人生のピークだと感じてます。
いつかこの日が来ることはずーっと覚悟していたけど、ようがいない家は広くて冷たくて、寝ても起きても沈んだ気持ちをどうにもできない。
ひゅうは13歳7ヶ月、ようは14歳4ヶ月を全うしました。フレブルの寿命を考えたらご長寿だったとも思います。それでももっと一緒にいたかった。
ひゅうようが元気でいるときは、ひゅうようを見送った後は何らかの形で保護犬のお世話をしたいと思っていました。でも全然気持ちが向かない。
ひゅうようが最高に可愛かったので同じように愛情を注げる気がしなかったし、そんな飼い主のところに来た子も可哀そう。
だからといって、いつまでもようを想って沈んだ気持ちでいるとようが彷徨ってしまう。
ひゅうようはずっと心にいて忘れることはないけれど、ひゅうようは、私たちを見守らなくていい。何かに生まれ変わってまた幸せな暮らしをしてほしい。
だから、ようちゃんが心配しないように暮らす。いつも通りに暮らす。言霊はあるからようちゃんが彷徨ってしまうことは言葉にしない。ありがとうは伝えるけど、悲しい、会いたいは言わない。
そんな風に思って過ごしてました。
ひゅうに似ている保護犬が目に留まり、あれよあれよという間にうちの子になった八朔。
ずっとここで暮らしていたよね?というくらい、環境にも私たちの心にもすんなり溶け込んだ八朔の中には、ひゅうとようがいました。
今、ひゅうがいる!と感じた時に抱っこすると、肩に頭をのせる感じや手足の置き方、身体の預け方、息遣いがひゅうでした。
「かあちゃんの好きそうな子を連れてきたよー。慣れるまで一緒にいるよ、ようも一緒だよ。」
ひゅうの言葉を感じました。
ようがいる!と感じた時に抱っこすると、大きさが全然違うのにやっぱり抱っこした感じがようでした。
「最期にすごく苦しい思いをさせちゃってごめんね。。。」
「かあちゃん、アタチ楽しかったよー。」
ようの言葉を感じました。
ひゅうの言葉通り、八朔の中にひゅうようがいたのは数日で、今はひゅうようを感じることはありません。
八朔はひゅうようが連れてきてくれた子です。
ひゅうようの言葉は、悲しみの塊を溶かしてありがとうだけが残りました。
今は全然悲しくない。ひゅうようは心の中にずっといるし想うことができる。
ひゅうようが、私たちを信じて八朔を連れてきてくれた。
自然に当たり前のように、ひゅうようと同じように愛情を注いでます。
ひゅうようへの恩返しは八朔を大切に育てること。
ひゅうよう八朔、こんなにも幸せな気持ちにしてくれてありがとう。
信じてもらえるかわからないけれど、私の人生最高のおとぎ話です。